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不甲斐ない想い [坐禅]

 今年3月から思い立って坐禅を再開し、禅寺へも参禅したが、身体の不調から断念せざるを得なくなっていた。なんとも口惜しい次第だ。8年前には臘八接心を勤めた記録が残っている。僅か8年の年月の推移で劫を経たような己れの衰えを思い知らされる。

平成15年臘八接心 (武蔵境市 観音禅院)

会期: 平成15年12月1日~8日
差定: 4時~振鈴
     15分~止静
     5時~径行
     15分~止静
     6時~抽解・朝課
     粥座・作務
     9時~止静
     45分~径行
     10時~止静
     45分~径行
     11時~止静
     45分~抽解  
     齊食
     13時45分止静
     14時30分~径行
     行茶
     15時~16時30分 法益(『学道用心集』)
     16時45分~止静
     17時30分~抽解
     薬石
     19時15分~止静
     20時~経行
     15分~止静
     25分~坐禅儀
     21時~抽解
     開枕

平成15年12月1日(月)

 臘八接心始まる。顔見知りでは上村さん(二月に出家得度されたそうで、剃髪墨染の衣姿である)、望月さん、高宮さん。関原さんは勤務地が変わって遠隔のため来られないとのこと。一昨年の臘八にも参禅していたエストニアからの留学生モニカ嬢がうす桃色の作務衣を着て勤めていた。ICUの学生三堀君も初参加で最後まで勤め上げたのは見上げたものである。
 高宮さんの鼾には辟易。初参加のアメリカ人は尻尾をまいて一坐もせずに退山してしまった。堂頭の配慮で二日目から隣の部屋に移動となり助かった。もっとも腰痛のため三日を終えて帰参された。例の饒舌老人熊谷翁も出家姿。唖然である。

 「法益」 『学道用心集』第九則 「道に向かって修行すべき事」

 発菩提心が中心眼目。
それには参師聞法=聞思修がカギとなる。さもないと、自分勝手な解釈に振り回されることとなる。
周利槃特のエピソードは繰り返し佛法を聞くことの大事なことを物語っている。周利槃特に代表される愚かな人間は飽くなく聞法することの大事なことを我々に物語るものである。

 念彼観音力=菩提心
 佛祖正伝の慧命は正師聞法を肝要とする。

平成15年12月2日(火)
 午前の三連坐の時は足が痛みこれで8日まで勤め果せるか心配だった。

 「法益」

 染汚=此世間
 不染汚=自然相

 一念三千の観解    天台宗
 一念不生の法門    華厳宗
 入佛界の心       真言宗

 和其光  同其塵  その光に和し その塵に同ず 「才知を隠して表に出さず、世俗の中にあって異和を起さぬこと」

 心意識智    心=阿頼耶識
           意=未那識
           識=前六識
           智=根本無上智

平成15年12月3日(水)

 午前の三連坐の第一炷で痛みと仲良くすればいいとフト会得して随分楽になり接心を乗り切れる自信をもった。入浴、まさに天国の湯であった。

 「法益」

 『学道用心集』は菩提心を中心眼目として、それを10則に展開させている。
 菩提心を概念的に捉えることなく、己の姿に現成しているものをありのままに捉える。その捉え方を10則に説いている。

   菩提心は無常なり
   無常は菩提心なり
   無常観が菩提心なり (西有禅師)

 佛道修行とは正法(自然のリズム)に波長を合わせて日々を生きること。

平成15年12月4日(木)

  学道の丈夫---志操雄大なる人
  参師聞法    聞慧 思慧 修慧

  佛道は人々の脚跟下=日々の生活の中に在り。
  一半=一知半解の略

平成15年12月5日(金)

  『学道用心集』 第十則 「直下承当の事」

  直下承当=そのまま受け取ること。師資相承

   佛々必ず佛々に嗣法す
   祖々必ず祖々に嗣法す
   これ証契なりこれ単伝なり
   この故に無上菩提心なり(『正法眼蔵』「嗣書」)
 

   嗣法=証契即通
   「その身そのままそっくり受け取ってそこで頷く」(澤木興道)

   行証---人の左右の手の如きもの。実物そのものである。(澤木興道)

平成15年12月6日(土)

   『坐禅儀』(『正法眼蔵』第十一)
   真筆本『普勧坐禅儀』には「非思量」の言葉はみられない。後に加筆された。(宏智の坐禅箴に出ているので)

   参禅----独りではなく大衆とともに行ずること。叢林にての参々とした修行を心得るべきこと。


平成15年12月7日(日)

   不思量  善悪を思わず是非を管すること莫れ(普勧坐禅儀)
   =いのちの根源をいう。

平成15年12月8日(月)

   暁天三坐のあと、法堂に上がり「大悲心陀羅尼」(大悲咒)を諷経、お拝をして僧堂に下り、
   粥坐(小豆粥)。
   最後の作務、行茶で解散。


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