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三人呑み会

旧勤め先の貿易部で共に働いた三人で「三人呑み会」を結成して月一度最終土曜日に高槻で呑むようになったのは

もう何年前になるのだろう。メンバーは私より五年年長のS氏と十何歳年下のS氏。若いS氏は僅か二年少々で退社して現在務めていて役員にまでなった会社に移ったにも拘らず、旧交を温めている。彼の結婚の際に仲人を務めたのが

三人の中で一番年長のS氏で私もその結婚式には参列した。その旧勤め先が倒産して、私が東京の得意先へ転職したのが50歳の時だった。

その間年長のS氏が摂津在住の旧会社の同僚と北摂会という集いを立ち上げて各地の名所を尋ねて旧交を温めていると聞いていたが、退職して枚方へ帰って小生もその集いに参加し、やがて年下のS氏も加わっているうちに三人で

月一度飲もうよとなって爾来楽しんでいたが、コロナ騒ぎで一年ばかり休会となっていたのを先月から再開した。

年下のS氏は早く奥さんに先立たれて独り住まいだったが、次女が離婚して帰ってきて二人暮らしをしている。我が家も二人の娘が三、四ヶ月毎に帰ってきてくれて乱雑極まる家の中を整理してくれるので大助かりなので、「娘は良いなあ」と話したら、我が意を得たりと彼も「娘はいいです」と即答。その点年長のS氏は一人息子に先立たれて、その上奥さんがパーキンソン廟を患って施設に入っている上、本人も足腰が弱まって週一デイサービスの世話になっているとのことで大変だと思う。しかし、いずれは我が身かと思うと暗然たるものがある。70歳台には元気で車を走らせてあちこち行っていたが、今やもうめっきり老いに拉がれて死が現実に近づきつつあることを思う日々だ。

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老い [己れ]

思い返してみると、70歳台は元気だったな。佛書の翻訳に打ち込む一方、お寺めぐり、ラグビー観戦と出かけることが多かった。80歳台に入って、めっきり己れの老衰振りを痛感する日々を送っている。死が目前という意識が頭から離れることがない。身体の至る所がそれを突きつけてくる。

死、生と共に人の必ず通過すべき場。それが70歳台まで全く意識することがなかったのは、やはり身体が無事でのほほんと過ごしていたからだろう。老いを身体の至る所に覚えると、嫌も応もなく死を思わざるを得ないということかな。

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