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「八大人覚経」と道元禅師「八大人覚」 [ティク・ナット・ハン師]

今、ティク・ナット・ハン師の「八大人覚経」を翻訳しているが、動機は道元禅師の「八大人覚」と比較したいというのがあったが、どうも内容に大きく違うところがあるので、調べていてふと気付いたのは、道元禅師は『佛遺教経』から釈尊の教えを引用して、示衆したもので、原典は『八大人覚経』ではなかったから、八つの覚りがそれぞれでは異なっているのは当然のことだった。双方を比較すると、第一の覚りは、ティク師(無常)、道元禅師(少欲)、第二の覚りは、どちらも(知足)、第三の覚りは、どちらも(楽寂静)、第四の覚りは、どちらも(懃精進)、第五の覚りは、どちらも(不忘念)、第六の覚りは、(憎悪と怒りの根は、貧困への気付き)、(修禅定)、第七の覚りは、(五欲への気付き)、(修智慧)、第八の覚りは、(生死が生み出す苦への気付き)、(不戯論)、と同異半ばしている。『八大人覚経』はティク師の註によれば、「本経は後漢朝(紀元140~171)支那のローヤン道場でペルシャ僧の安世高によってサンスクリット原典から漢訳された。この経典の古い形は、幾つかの小部の経を集めたものであった。」とあるから、出典が「佛遺教経」でないことは明らかである。

『八大人覚経』 [ティク・ナット・ハン師]

7月から翻訳していたティク・ナット・ハン師の『The Diamond Sutra』(金剛経)を訳了し、Mybooksに転送したものの推敲も終えて、製本依頼した。これで同師の著作の製本は五冊目となる。
 次ぎに考えているのは、『八大人覚経』ですでに作業に入った。 これは道元禅師の『正法眼蔵』の中に収められている「八大人覚」を、曹洞宗の禅寺で何度か、「佛言わく、 汝達比丘、当に知るべし」、と少欲に始まって、知足、遠離、精進、不忘念、精進、智慧、不戯論、に終わる八大人覚を唱和し、また法益として拝聴したこともあって、懐かしさを覚える。 道元禅師の釈義と、ティク・ナット・ハン師の釈義との比較検討も興味あるところだ。



『金剛経』釈義訳了 [ティク・ナット・ハン師]

『金剛経』の推敲を終えた。まずミスっているところは、全部消したと思うが、さて印刷して製本をすませて、
送られてきた本を読んでいると、「あーツ」てなることがままあるが、仕方あるまい。そこまで根を詰めてやり
切れる年齢でないと、諦めることにする。 次は、『八大人覚経』に取りかかる。

『金剛経』釈義訳了 [ティク・ナット・ハン師]

ティク・ナット・ハン師の金剛経釈義を訳了した。 八月半ばから始めたので、結構早く終わった。あとは、ブログに非公開で載せて、Mybookに転送して推敲作業という運びとなる。
今月中には製本出来そうだ。次は、我孫子市在住の頃、曹洞宗寺院での座禅会で親しんだ、『八大人覚経』の釈義を翻訳したい

金剛経 [ティク・ナット・ハン師]

 翻訳を進めているティク・ナット・ハン師の金剛経についての釈義も、あと4頁を残すのみとなり、今月中には推敲も終えて、Mybooks へ製本に出せそうだ。同師の『Awakening of Heart』には、尚七部の経典があるので、前途なお遼遠である。

『深層識での転依』 [ティク・ナット・ハン師]

 千葉の我孫子市布佐での60歳代、今より深く佛教に触れていた頃、ヴェトナム人の禅僧、ティク・ナット・ハン尊師(Rev.Thich Nhat Hanh)の著作に目を通すことが多かった。その中の一冊が唯識佛教について説く『Transformation at The Base』(副題:Fifty Verses on The Nature of Consciousness)をアマゾンから取り寄せて、翻訳した。このブログでも一部紹介したが、今回思い立って当So-net ブログにある製本アプリを利用して製本することにした。ここ一週間ばかりかけた推敲作業も終わって、製本申し込みをすませた。製本代は3,600円余(送料込み)。

 あと一冊尊師の著作『The Heart of the Buddah's Teaching』が翻訳未完になっているので、傘寿の記念事業として、これも訳了して製本にまでもってゆきたいと思っている。


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