洛陽観音霊場参詣 [霊場巡拝]
27日(金)束の間の秋晴れを利して京都へ車を走らせた。泉湧寺とその近くの善能寺と今熊野観音寺へ参詣した。泉湧寺の駐車場に車を駐めて泉湧寺~善能寺~今熊野観音寺の順で参拝した。
第二十番 泉湧寺 真言宗泉湧寺派
楊貴妃観世音菩薩
「ももたんびも あゆみをはこぶ せんにゅうじ などやほとけも まんぞくにます」
寺内には多くの歴代天皇及び皇室関係の高貴な方々を祀る月輪陵がある。
第十八番 善能寺 真言宗泉湧寺派
聖観世音菩薩
「かんおんに まいりてあくを ひるがゑす いまにころもも ぜんのうじかな」
泉湧寺の塔頭で朱印は泉湧寺で頂いた。
余命
先日83歳の誕生日を迎えた。子供の頃、60歳になると爺さんになるなぁ、とは考えもしたが、80過ぎるまで生きることになるとは、考えもしなかったというか、夢想だにしなかった。さて、この歳になると余命がちらついてくる。六十代、七十代前半くらいまではまぁあと十年はと考えていたが、今は五年の余命があるかどうかが疑わしくなって来ている。それなら大事にすべきものがいろいろあって然るべきだが、凡夫の浅ましさは如何とも為し難く、日々無為に過ごしている己がある。生きるということは並大抵のことではないことは実感する。ここ十年来ティク・ナット・ハン師の著作の翻訳を続けているが、そこに説かれていることのどれだけが実感されているか、と忸怩たるものがある。
神無月 [季節]
語源由来辞典よりの引用。
神無月の語源は、神を祀る月であることから「神の月」とする説が有力とされ、「無」は「水無月」と同じく「無」を意味する格助詞「な」である。
中世の俗説には、全国の神々が出雲大社に集まり、諸国に神が居なくなることから「神無月」になったとする説があり、出雲国(現在の島根県)では反対に「神有月・神在月(かみありづき)」と呼ばれる。
その他の説では、雷の鳴らない月で「雷無月(かみなしづき)」が転じたとする説や、新穀で酒を醸す月なので「醸成月(かみなしづき)」が転じたとする説がある。
さて、今月の予定は19日(木)公済病院泌尿器科予約、28日(土)北摂会(高槻城見学)、29日(日)法隆寺秋季文化講演会が決まっている予定。あとは洛陽観音霊場参詣をどこに入れるか、それと22,23日に四天王寺で秋の古書展があり妻君が行きたいようだ。