わがモーターサイクル史 [スポーツ]
ところが如何せん行動範囲がどうしても限定される。河内磐船街道をR163との交差するところまで走ったのが唯一の遠出だった。これではと、寝屋川の運転教習所に通って中型二輪(400ccまで)の免許を取得した。原付経験だけでギヤ操作など無経験なので一本橋走行には梃摺ったが、1回の転倒と3時間の追加教習で免許を取れたのは勿怪の幸いであった。
そこで購入したのが写真の125ccバイクだった。乗り始めて間もなく夜道で転倒したことがあったが、幸い大事には至らなかった。これもどれぐらい乗ったのか記憶していないが、走行距離は少なかったと思う。やはり125ccでは物足りないものがあった。
当時250ccバイクは400ccの車体に250ccのエンジンを載せるのが通常であった。がたいだけ大きくて力がないというマシンが多かったが、写真のスズキのバイクは250cc専用の車体を初めて使ったものだというので購入を決めた。写真は丹波の篠山城を訪れた時のものだが、このバイクではよく鈴鹿まで8耐観戦に行ったし、藤村の椰子の実を慕って渥美半島伊良子岬へツーリング、帰りはフェリーで鳥羽に渡って帰ってきたこともあった。結構遠出をしたものだ。延べ走行距離7000km余は走ったかな。
スズキRG250E
これが一番よく走らせたマシンかな。カウリングにも金をかけたし・・・・・ 西国観音霊場巡拝にも活躍してくれた。九州へのツーリングもこれで走った。南港からフェリーで夕方発ち翌朝宮崎に着いて日南海岸(鬼の洗濯板)からえびの高原を経て天草を走って熊本で一泊。翌日阿蘇に登り、高千穂峡を経て延岡からフェリーに乗船して南港へ翌朝着。今一度は小型バスにツーリングメンバー一同の細君を乗せて黒部ダム観光、R148で日本海糸魚川へ抜けて宇奈月温泉への二泊ツーリング、途中の道路端のレストランでカレーを食べたメンバーが食中毒を起こしたり、とそんな思い出が一杯あるマシンだ。
中免を取った時はナナハンなど夢の夢と思っていたがどうしても乗りたくなった。今と違って当時ナナハン免許は教習所では取れず、試験場での実地テストであった。名前を忘れたが、ある教習所でスズキの重たい水冷エンジンを載せたナナハンで試験場のテストに準じた教習コースを提供してくれるところがあった。そのコースを修了する途中でも試験場に赴いてテストが受けられた。結局5回目に合格して(30人ほど受験して二人だけ)、念願の免許を取得。早速購入したのが写真のヤマハのXJ750E。
このマシンでは全線開通して間もなくの中国自動車道(広島、島根では対面交通のところもあった)で下関まで走り一泊。翌日は秋吉台へ走り秋芳洞観光したあと萩市を経由(萩では観光する余裕がなかったのが残念)して出雲へ。どこで泊まったかは記憶にないが、翌日出雲大社参拝、日御碕観光して宍道湖の北岸を走って松江、米子、鳥取を抜けて、智頭、大原、作用と走って上月の実家へのツーリング。ツーリングメンバーとの箱根温泉一泊のツーリングなど記憶に懐かしい。このマシンが一番よかったように思う。写真は能登半島の旧家時国家を訪れた時のものと記憶する。
東京の会社へ転身して、XJ750Eを駆って浦安のアパートに移住した。前の会社の退職金の一部を割いてBMWのマシンを買った。試乗して東北自動車道を走った時の感想は、まるでソファーに坐って走行している感があった。
ツーリングの思い出は、大阪から駈けてくる旧知のメンバーと蓼科温泉に遊んだ一泊ツーリング、それとこのバイクを買ったバイク店の野尻湖ツーリングに参加したくらいかな。大阪へも二度ばかり往復したが、東名を走っていて質の悪いトラックドライバーに幅寄せの悪戯をされたこともあった。走らせている時はいいが、引き回しは重くて往生した。見栄だけだったかな。
BMWK100RS
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